父
「…意地や!男の意地や!!俺かて欲しいわ!20円っ」
「女にはない意地が、男にはあるんや!」
「そうしたいのにできへんのや、そうしたいのに、
できんのや、それが男の意地や!」
…意地って、なんだろう…
一晩、考える喜美子。
朝、井戸から水汲みしながらふと、気づく。
まるで、「水」と言う言葉があると
自分史上最大の発見をした時の
ヘレン・ケラーのように。
お父ちゃんを捕まえ、縁側で向き合う。
ちょいと照れながら…
喜美子
「わかったんや…紙芝居。直子(妹)連れて行ったんけど、ポンせんべい買うお金なくて…」
「『厚かましい』、男の子らが囃し立てた。
でもそれはいい」
「直子(妹)がやっぱり紙芝居見たいと言う。
紙芝居のオッチャン、『紙芝居』だけならいいよ、って。
でも、そうできひんかった。」
「そうしてたまるか、言う意地や。
ほんまはすごい見たかった。紙芝居。ほんまは…
ポンせんべい、食べてみたかった」
悲痛な想いを思い出す。
「あん時のあれは、意地や。お父ちゃんの言う、それや。」
「わかった!もっと言うてもいい?」
「女にもあるでーっ
…女にも意地と誇りはあるんじゃーっ!!!」
お父ちゃん、「女にそんなもんあるか?!気のせいや」
そう言いながら、幼い娘が共感してくれることに
どこか嬉しそう。
お母ちゃん、子供が大人に対等に物申す姿以上に、
女が男に、
娘が父に、対等に想いの主張をする様子が嬉しそう。
まるで、自分の代弁をしてくれているかのように映るのか。
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NHK 連続テレビ小説「スカーレット」https://www.nhk.or.jp/scarlet/
2019年10月8日放送分より。
この回、リアルで観れたことがラッキー!!!
上記記載は、あくまで私の個人的解釈。
私が気づいたこと。
*人は、その時その一瞬では自分でも理解できなかったことが、時間を経て「あっ!」と学びが腑に落ちる瞬間がある。
例えば相当に悔しかったり、身近にそう言う似た経験がある人がいるとなおその”腑に落ちる”時間が早まる!
*男性と女性で、
「意識」「意地」「誇り」に自分たちならでは!と
思いたいのが男性。
同じように「私たちにも違いあれどあるんだ!」と
思いたいのが女性。
…私にも、どちらもあるからこそ、また
このドラマのこの場面が刺さったのだろうなぁ^^
質良きドラマは、自分の過去・今・未来を
投影してくれますね。